2009.07.01 Wednesday
幸福と祝福
ニューヨーク大学にある、リハビリテーション研究所の壁に
ひとりの患者がこのような詩を残している。
大きなことを成し遂げるため
力を与えて欲しいと神に求めたのに
謙遜を学ぶようにと 弱さを授かった
偉大なことができるように 健康を求めたのに
よりよきことをするようにと 病気を賜った
幸せになろうとして 富を求めたのに
賢明であるよにと 貧困を授かった
世の人々の賞賛を得ようとして 成功を求めたのに
得意にならないようにと 失敗を授かった
求めたものは一つとして与えられなかったが
願いはすべて 聞きとどけられた
神の意添わぬ者であるにもかかわらず
心の中の言い表せない祈りは すべて叶えられた
私は最も豊かに 祝福されたのだ
バイブル(聖書)の中には「求めなさい、そうすれば与えら
れます」ということばがあるが、仏教の八苦の一つに、
「求不得苦(ぐふとっく)」がある。
それは、求めるものの、得られない苦しみのことうをいう。
人生を幸せに生きたいという思いは、宗教をする人でなくと
も、誰であれ願うことだ。そして自分の願い通りに人生が進
むなら、これほど楽なことはない。ただ、矛盾を抱えて生き
ている人間には楽になればなったで、違う苦しい生き方をし
てしまうのではないかと懸念する。
宗教の神仏はさておいて、自分の心の思いという点では、ど
の様な人でも幸せを願うものだ。
英語のHAPPINESSは幸福、幸せと訳されている。
でも、私達がいう幸福は、諸条件によって左右されることが
多々ある。お金が有る時が幸福なら、無い時は幸福でないこ
とにもなりうる。一番になったら幸せに成ると思い込んでい
る人は、二番の自分を、受け入れがたくなる時さえある。
私達の幸福感は、世の価値観に強く結びついている様に思う
多くの情報が行き交う環境の中で生活していると、自分自身
が悩んで考えて答えを見出していくより、他の人の考えや思
想に影響されてしまうことがある。
心の祈りや願いを通して、我々が教えられることはいったい
なんだろう…。
我々が求めていることと、我々が本当に必要としていること
は、決して同じではない、ということを知ることなのかも知
れない。
冒頭の、ある患者の詩のように、力を与えて欲しいと願うの
に弱さを授かり、健康を求めたのに、病気を賜る。また富を
求めるのに貧困を経験し、成功を求めたのに失敗を味わう。
でもそれは、大きなことを成し遂げるより、謙遜を学ぶこと
になり、偉大なことができるより、良きことをする大切さを
教えられる。
幸せとは、物質的なものを得ること以上に、賢明を得ること
の尊さにめざめさせられる。
また、天狗にならない為の教訓であったりする。
自分が初めてこの詩に出合った時、正直に言って「冗談じゃ
無いよ」と思った。でも自分の人生を振り返る時、
レスリングの世界選手権に備えるための試合の前日、怪我か
ら守られるようにと自分の願いを日記に書き込んだにもかか
わらず、当日、首の骨を折る大怪我にあい、病人生活を長く
おくった経験がある。
その現実を理解するには時間が掛かったが、その体験は今の
私にとって、掛け替えのない財産になった。
私達が求めてやまないものと、私たちにとって必要なもの、
決して同じではないことがある。
でもそれを通し、世の中が言う成功とはちょっと違う、心の
中にしっかり残る祝福(BLESSING)と思えることが、究極的
な、私達が気づいていない、心の願いなのかもしれない。
ひとりの患者がこのような詩を残している。
大きなことを成し遂げるため
力を与えて欲しいと神に求めたのに
謙遜を学ぶようにと 弱さを授かった
偉大なことができるように 健康を求めたのに
よりよきことをするようにと 病気を賜った
幸せになろうとして 富を求めたのに
賢明であるよにと 貧困を授かった
世の人々の賞賛を得ようとして 成功を求めたのに
得意にならないようにと 失敗を授かった
求めたものは一つとして与えられなかったが
願いはすべて 聞きとどけられた
神の意添わぬ者であるにもかかわらず
心の中の言い表せない祈りは すべて叶えられた
私は最も豊かに 祝福されたのだ
バイブル(聖書)の中には「求めなさい、そうすれば与えら
れます」ということばがあるが、仏教の八苦の一つに、
「求不得苦(ぐふとっく)」がある。
それは、求めるものの、得られない苦しみのことうをいう。
人生を幸せに生きたいという思いは、宗教をする人でなくと
も、誰であれ願うことだ。そして自分の願い通りに人生が進
むなら、これほど楽なことはない。ただ、矛盾を抱えて生き
ている人間には楽になればなったで、違う苦しい生き方をし
てしまうのではないかと懸念する。
宗教の神仏はさておいて、自分の心の思いという点では、ど
の様な人でも幸せを願うものだ。
英語のHAPPINESSは幸福、幸せと訳されている。
でも、私達がいう幸福は、諸条件によって左右されることが
多々ある。お金が有る時が幸福なら、無い時は幸福でないこ
とにもなりうる。一番になったら幸せに成ると思い込んでい
る人は、二番の自分を、受け入れがたくなる時さえある。
私達の幸福感は、世の価値観に強く結びついている様に思う
多くの情報が行き交う環境の中で生活していると、自分自身
が悩んで考えて答えを見出していくより、他の人の考えや思
想に影響されてしまうことがある。
心の祈りや願いを通して、我々が教えられることはいったい
なんだろう…。
我々が求めていることと、我々が本当に必要としていること
は、決して同じではない、ということを知ることなのかも知
れない。
冒頭の、ある患者の詩のように、力を与えて欲しいと願うの
に弱さを授かり、健康を求めたのに、病気を賜る。また富を
求めるのに貧困を経験し、成功を求めたのに失敗を味わう。
でもそれは、大きなことを成し遂げるより、謙遜を学ぶこと
になり、偉大なことができるより、良きことをする大切さを
教えられる。
幸せとは、物質的なものを得ること以上に、賢明を得ること
の尊さにめざめさせられる。
また、天狗にならない為の教訓であったりする。
自分が初めてこの詩に出合った時、正直に言って「冗談じゃ
無いよ」と思った。でも自分の人生を振り返る時、
レスリングの世界選手権に備えるための試合の前日、怪我か
ら守られるようにと自分の願いを日記に書き込んだにもかか
わらず、当日、首の骨を折る大怪我にあい、病人生活を長く
おくった経験がある。
その現実を理解するには時間が掛かったが、その体験は今の
私にとって、掛け替えのない財産になった。
私達が求めてやまないものと、私たちにとって必要なもの、
決して同じではないことがある。
でもそれを通し、世の中が言う成功とはちょっと違う、心の
中にしっかり残る祝福(BLESSING)と思えることが、究極的
な、私達が気づいていない、心の願いなのかもしれない。




